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よく食べよく放浪するOLの雑記ブログ

新卒3年後離職率6%のオムロンをちょっと前に退職しました

 

2018年に新卒から3年以上務めたオムロン株式会社を退職し、転職しました。現職に就いてから約1年経ったので、改めて転職してよかったか?も含めて退職エントリーをまとめていきたいと思います。

ちなみにオムロンってBtoBビジネスがメインなのであんまり知らん人も多いと思うんですけど、実はけっこう人気企業…やねんで。そして新卒3年後離職率がたったの6%!四季報によると最新の3年後離職率相場は31.9%なんだって。無論、OMRON!

就職人気、関西1位はオムロン 任天堂5位、ワコール9位 : 京都新聞

チラ裏程度の内容ですが、退職エントリーというとITエンジニア系がほとんどでメーカー営業のものとかはあまり見かけないので、コーヒー片手に鼻ほじりながら物珍しげに見ていただければと思います(謎に高い要求)。

ちなみに、色々書きますがこういうのは個人の考え方や価値観によるものなので、会社や人そのものは一切批判する気ありません。むしろいい人しかいない超善良なホワイト企業であることは断言できるし、大好きな友人もたくさん働いてますからね。

なぜ辞めたか

転職を検討する理由って皆さんいくつかある(というか色んなことの積み重ね)と思うんですが、私の場合は大きく二つでした。

①組織への疑問

周りを見渡すと、同期や後輩の多くが仕事を楽しんでおらず、未来も見えずもがき苦しんでいました。しばらくすると、みんな諦めたり割り切ったりして、もがくことさえ辞めていきました。一方で他の会社に行った同級生とかと会うと、やりがいや目的と仕事を接続させ、いきいき仕事しているように見えました。もともと新卒なんてある程度同じ素地からスタートしてるはずなのに、本来ならみんなああなれるはずだったのに…いきいき働いたらみんなめっちゃ優秀そうなのになんてもったいないんだろう、っていつも思ってました。

営業いやだって訴える同期も多かったのですが、何が嫌とかなんで辛いっていうとこを深掘りせず「でも営業志望だったでしょ」「じゃあ他に何がしたいの?具体的な代替案ないやん」って上司からは切り返されるので皆じきに声を上げるのを諦めたみたいでした。そういうのも、マネジメント次第でもっとなんとかできたこともあったんだろうなあと感じていましたが、部下育成とか部下のことをよく知ってモチベーションをどうあげるかという課題についてミッション化されてる人ってもしかするとあまりいなかったのかもしれない。「人材じゃなく人財」とはいうもののわりと言葉だけだなと感じていました。

仲の良かった先輩が辞めて大手ITへ転職した一件も自分の中でわだかまりになりました。優秀なのにもったいないなあと思いながらも、いいとこ決まってよかったなーと思っていました。だってその人、能力や適性を持て余して社内ニートに近い形で放置されてたので、逆によくこの状態で我慢してるなって感じだったし。でも周りの人たちは「前の職種の時も○○な問題あったしああいう形で放置されたのもあの人が蒔いた種だからね」とか「恩知らず」と言うばかりで、聞いていてすごくやるせなかったのを覚えています。転職後はその人同じところでずっと働いて活躍してるし、しばらくしてから会った時に「今の方が忙しいけどとてもやりがいがあって楽しいよ」ってキラキラ話してる先輩を見て、「個人が活躍できるフィールドはどこかに絶対あるはずなのに、それを用意できず貴重な労働力を非生産的にした組織って?」とか、「どんな人も必ず輝ける場所があるし、そのマッチングこそが会社と本人両方の幸せなのに(なぜ探す努力をしないんだろう?)」という組織へのモヤモヤが強くなりました。

②将来不安

これは会社に対してではなく主に自分に対してです。

数字があがろうが目標いこうが、営業として、ビジネスパーソンとして自分は何か変われたのだろうか?という疑問がずっと拭えず、上司との定期面談などでも「なにも得た感覚がなくやりがいもわかない」「本来は営業に向いてないと思う(楽しくない)」と言いつづけていました。けどその度に、「この顧客の売上を○倍に伸ばしたのになんで素直に喜べないの?」とたしなめられるばかりで何の光明も得られなかった。…数字がモチベーションにならないことは何度も伝えてたのに。

もしみなさんの部下にこういう悩みを打ち明けてきた人がいたら、「君はこういうとこ変わったじゃん、ここがすごいと思ってたんだよね!(だから何でそんなに煮詰まってるのかもっと教えてよ)」「自分では気づいてないみたいだけど、この仕事って“あなたらしい”仕事だったよ。こんなのあの時じゃできなかったんじゃない?(だからもっと自信持っていいんだよ)」とかってはっきり言語化して対話してあげてほしい。それか「最近こういう仕事をしてたけどそれってなんでできたのかな?誰にでもできることじゃないよ」とか言っていわゆる成長や強みを自覚させるきっかけを与えるだけでもいいと思います。

上司は“成長させたい!成長実感!成功体験!”って簡単にいうけど、そもそも成長ってなに?どういう状態になったら成長なん?私はなにを目指すよう期待されてるの?成長したなって言ってくれるけど何が?って戸惑ったし、聞いても曖昧な答えで腹落ちしなかったし、“成長”のためのステップを踏んでいる実感もなく、「入社した頃と本質的な能力は何も変わってないな。私の数年はどんな実になったと言えるんだろう?オムロンという会社がなくなったら私にはなにも残らないじゃん」って不安を抱えだすともうドツボ。いまどき終身雇用を当然とも考えてませんし、だからこそ“何か得た実感が0”という事実が不安で仕方なかった。

オムロン時代を振り返る

ざっくり転職理由は上述の通りですが、せっかくなので内省も兼ねてオムロン生活を振り返ってみます。

1年目

日本のものづくり立国としての誇りに魅せられていたので、日系メーカーで働きたかったし、興味があった業界の中でどうせならトップが良かったし、人がよさそうな会社がよかったし…とかいう理由でオムロンには入社しました。

営業職として採用された新卒社員は全体研修の後2か月ほど生産工場研修に行きます。メーカーだからね!地方にそれぞれ1-3か月ほど住みついて、工場で自分がこれから売る製品がどんな風につくられるのか、どれだけの人が関わっているのか、忙しさや苦労を肌で感じ、現場の人を知りました。

研修後、営業所に本配属されてからの初回アポ後には、ド文系だったこともあり「話の内容がすべて外国語に聞こえた」と顔面蒼白になりました。センター物理選択だったんですがまったく太刀打ちできんかった。笑笑

お客さんからのひどいセクハラ発言や仕打ちで悩み、ただ周りに女性の先輩がいなかったので、家でひとり泣く日々が続きました。会社で泣いたら「やっぱり女の子は…」とか陰で言われるのわかってたし。(最初の頃そういう話があった)

でも仕事内容には自分なりに価値を感じていたし、とにかく右も左もわからないので周りの人に助けてもらいながらなんとかついていきました。

2年目

上司が好きすぎて、頼りになれない自分が情けなくて泣く日々。笑

同期と飲みに行くと同期は自分の周りの人や上司、事業方針や戦略について愚痴っていましたが、私はずっとどれだけ自分が上司に貢献したいのにできないのかという葛藤とお客さんの理不尽に対する虚しさを発散していました。上司はとても信頼してくれて色々任せてくれたり、私がお客さんのことを一番わかっているという自信をつけさせてくれました。でも、仕事自体はパンパンでメチャクチャで苦しくてお客さんのこと考えるとつらすぎて、でも会社でとにかく泣いてるのを見られたらいけないという強迫観念があったのでいつも可愛げなく気を張って働いてたのですが、トイレで同期にばったり会ったりするともう我慢できず一緒にそのままトイレでわんわんよく泣いてたし、周りの人に支えられてなんとかなってただけなのは間違いないです。

当時、同期や周りにストレスで休職したり、産業医にかかっているメンバが複数出始めて、営業ってキツイんだなあとしみじみ感じていました。

3年目

業界への外資系参入後、顧客も含めいろんな会社が倒産したり弱っていくのを見ていました。心がものすごく痛んだし苦しかった。そんな中で気づいたのは、外資の競合は外資だけど、日系の競合も外資だったことです。「日本メーカーって弱いんだな」と鳥頭ながらに感じたし、きっとこの先さらなるグローバル化が進めば、業界にかかわらず、日本企業は負かされていくんだろうかと感じました。…それって日本人としてはすごく悲しいよね。

一方で、勢いのある“強い”外資はやっぱり人に対しての投資や働く環境整備、評価制度のレベルが段違いだからそりゃそうだろうなというのも感じていて、メーカーって技術が重要なのに、それを担う人になぜもっと投資できないんだろうって思っていました。投資っていうのは単純な額面もそうなんでしょうけど、その人が最高のパフォーマンスを発揮したくなる環境づくりとか、周りの人に刺激されるとか、喜びを感じる頻度が多いとかそういうのも含めてです。開発拠点に訪問しても、「イキイキ働く」とかいう言葉をラベリングできそうな人が一人もいないし、開発に行った同期達からくるメールやSNSが「仕事まだ慣れないよ〜」「お互い頑張ろう!」という言葉からこの頃どんどん「頑張って働く意味ないし」「生きてる価値わからん」「絶対クビにならんし、このまま歳とれば自動的に給料増えるから」に変わって行っていたのをリアルタイムで感じていたので、これじゃ“弱い”のも当然かもしれないという気持ちが強くなりました。

そんな中、体制変更やなんやで業務が増え過ぎて追いつかなくなったり、お客さんとの関係性にも色々イベントが発生するなどどうにもならないことが増え、出先でランチ入った時に食べながら店で一人で泣いたりしたこともありました。あれはまじでキモかった…(遠い目)。まあ仕事ってしんどいもんだと思ってたし、理不尽への憤りを逆にパワーにしていたように思います。

この頃、他部署含め社内のことが色々わかってきて、“チャレンジ精神を大事にする”と公言しているけれど実際は純度100%保守的な風土だったり、「僕の定年までこの会社が存続してればいいやー」と話している上の人たちを見て違和感を感じ始めていました。

4年目

担当変更で約3年べったり張り付いていた顧客を手放すことになり、初めてその顧客以外の世界を見ました。本当に衝撃だった。今まで担当してた会社は、契約書は都合悪くなったら踏み倒すの当然、逆ギレ怒鳴り上等、サプライヤーは奴隷(買ってやってるんだから言うこと聞け)、情はないけど論理もない、他にも一般常識で理解に苦しむ衝撃言動が95%という感じだったので、世の中生きていくにはこういうのに対峙し続けなきゃいけないんだと思ってたけど、他はそうでもなかった笑笑

今まで毎日が精一杯だったのに、新しい顧客になってこれまで以上のことをしても時間が余って、周りを見る余裕ができてしまった。そしたら社内に働いてない人がいすぎてすごいショックを受けました。「この会社はただいるだけでもそこそこのお金もらえるんだし、生き急がなくても」「頑張るだけ虚しくならないの?」とよく定年間際の人たちに言われてた意味がこの時やっとわかりました。ああ、そういうことだったのか。私って生き急いでたんだ。…嘘でしょ?世の中にはもっと頑張ったり、大変な思いしながらも働いてる人がいっぱいいるじゃん…。

周りは「この会社は安定しているし」と言っていたけれど、この流れの早い時代における“安定”は、“組織や他人の存続に依存することではなく、自分自身に常に選択権があること”ではないかと常々感じていました。その上で改めて振り返った時、自分はいろいろ持っている気がしていたけど、それらはすべて私自身の持ち物ではなく、会社の持ち物だった(福利厚生とか働きやすさとかね)と気づきました。

そしてそのうち「仕事って果たして、こんなに辛かったり、つまらなくて当然なのかな?」という想いもどんどん募りました。同期との飲み会ではみんな愚痴しか言ってなかったし、部署の飲み会でも他人の噂話とか軽い悪口が多かったのでなんとなく居心地が悪かったことも影響しました。そんなあるとき、ウェブ広告ででてきたのがこれ。

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これを見た瞬間に泣けてきて、私が想像してた社会人ってもっとキラキラしてたはずなのにって無性に情けなくなりました。仕事は仕事、お金のため。やりがいや喜びは特に求めない。と割り切り始めた同期を見ながらも、私はどうにも割り切れなかったし、人生の中で大きな時間を割くからこそ仕事は誇りを持てて楽しいものであってほしいという希望を捨てきれなかったし、そもそも割り切る側に流れてしまえば自分の性格的にふと歳をとってから「あのときもうちょっと頑張れたのに」と後悔する予感がしていました。

そんな悩みをある時中学以来の親友に相談した時、「3年間すっごく頑張ってきてるの知ってるよ。でも、それだけやって楽しみを一つも見出せてないなら、異動か転職もいいかもしれないね。まだまだ可能性はいっぱいあるし、あなたなら挑戦できるよ!」と励まされ、社外という選択肢を探すことにしました。社内異動制度は一応ありましたが、年齢高い人しか受け入れてもらえるポストがなかったりとか、そもそも行きたいと思える魅力を放つ部署・仕事が私にとってはありませんでした。だってどの部署にも同期とかいるけど、みんな楽しそうじゃなかったし。“すごくいい会社”だから最初は親とかも転職活動に否定的だったし、私もやめなくていい理由をたくさん探してみたんですが、結局みつからなかった。同時期、たまたまyoutubeでこの動画を見て転職は確固たる覚悟になりました。

先輩にルート営業してる40代くらいの人がいて、その人すっごい大変そうやったけど大きい数字持って回してらしたので「すごいですねえ」と言った時に「僕は営業のプロじゃなくて〇〇(顧客名)のプロなだけだよ」って言われたのも決定的でした。こんな歳を重ねてもこんなに自分の能力やスキルに自信を持ててないんだ、って。

営業として活躍してる女性が社内にいなかったので女性には未来がないという価値観に苛まれていたこともあり、長く働けないなら、男性と同じだけ社会に価値を還元するには今頑張らなくていつ頑張れるのかという気持ちも背中を押しました。

だから転職は、職種はなんでもいいけど、自分に自信を持てるようになりたいし、誇りを持っていきいき働けるようになりたい、早急に!という一心ではじめました。

辞めてから

今は人と組織に関わる仕事をしています。転職先検討の軸は、オムロン時代感じてた負も踏まえて「全ての人が能力を存分に発揮できる仕事や環境と出会うことにより、企業の生産性を向上し、日本を“強く”したい」というのにプラスアルファ自分がいきいき働ける場所、何かを得たと感じられる環境を提供してくれる場所、といった感じでした。

ちなみに、今も「向いてない」と思っていた営業をしてます。結論、やめてよかった!今の方が労働時間長いし仕事の量も質も求められるし休み取れないけど笑笑、そう思えます。オムロンに辞表を出した後、「本当にこんな恵まれた環境で人も良いのに、今のこの“安定”を捨てて後悔しないだろうか?」と家で不安に押しつぶされて泣く夜もありましたが笑、今も、きっと数年後も、自分の選択をよかったなって思えると思います。だって、仕事ってこんなに楽しいものなんだ。自分にも自分にしか出せない価値があるんだ。向いてない部分も私の“らしさ”で、強みになりうるんだ。って現職につくまでは知らなかったもの。

久々にご飯を食べた同期が、私と会った後に新卒の時から念願だった(けど当時はダメだった)企業に転職できて「あなたが仕事について話してる姿があんまりキラキラ輝いてたから、私も殻を破ろうって転職を決意できたんだよ!ありがとう」と連絡くれるという出来事もありました。この伝播する波がどんどん広がって、もっと社会が明るくなるといいなあと思っています。

オムロンはおすすめ企業か?

私自身は辞めましたが、オムロンを人にオススメできるかというと、はいできます!と即答します。働きやすさという観点では異常なレベルです。まじで。

水曜はノー残業デーだしていうか残業はめちゃ多いわけでもないし、フレックスタイム制があるので飲みすぎて疲れた翌日やモーニング食べてからゆっくり出社したい時は出社時間遅らせたらよかったし、用事ある時は早帰りもOK(月間で労働時間が規定以上行ってればOK)やし、独身の若い時は住宅手当が引くほど手厚いので月々の支払い3,000円くらいだったし、年間休日は多いし有給そこまでいらんってくらいあるし取りやすすぎて笑えるし5日間連続休暇を自分の好きな時にとれるので土日とくっつけて9〜10日間で毎年ローシーズンに海外旅行いけるし、社割で薬とか安く買えるし、東京は大したことないけど京都本社なんか保育所も社員食堂もあるし労組でお菓子食べ放題やし、他にも人が思いつく限りの福利厚生は全部ついてるし、まあなんていうかまじホワイト企業にもほどがある。そして何より人がいいよ。これはほんまにそう。

会社に守られる安定を好む人とか、落ち着いて仕事したいという人には本当に合うと思うし、必ず長く働ける会社だと思います。どの会社にもいい面と悪い面が絶対あるから、自分にとって仕事で成し得たいことが何か優先順位をつけておいて、それに合致する会社を選ぶというだけのことなんだろうね。

でもね、一つ言いたいのは、オムロンの新卒採用の時、グローバルなイメージを押し出すのはまじでやめたほうがいいと思う。嘘やから。

あと冒頭の話で、オムロンの新卒3年後の定着率っていいんですけど、4年後で算出したらけっこう数字変わりそう。わたし含め、4年目に入ったタイミングで続々と同期やめていきましたね。やめなくても社内異動申し出たりとか。社内基本いい人なので、同期と励ましあったり上司も人間性いいからって理由でなんとか3年くらいは盲目的に頑張れちゃうんですけど、仕事慣れて余裕出るとわりとエネルギー余ってる人はふと視界がひらけて辞めていくんだと聞きました。

そういえば1名、スメハラがきっかけで心が決壊して転職した子がいたんですけど、そういうのも「なんでそんなことで」「最近の若い子は」じゃなくて、「それでやめようってなるくらいギリギリまで不安や苦しさが溜まってたんだな」っていう見方が正しいんだと思う。何か一つで転職なんて大きい決断しないです。全部積み重ねだよ。

一つと言いながらいっぱい書いてしまった。笑笑

という感じでごちゃごちゃ書きましたが、オムロンには感謝と愛しかないし、悪いのは結局、会社の体質とか自分の性格を鑑みて考え抜いて就活をできてなかった私なんだよね。まあ、なんていうか、おつかれっした!!

 

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